【益城町の仮設住宅へお邪魔して来ました♪】
久々に会う、見慣れた子どもたち! みんな笑顔で、元気そうでよかった〜
ボランティア活動ではこの時期ぶつかる悩み。 それは、いかに活動を続けていくか。
これは私たちもぶつかっている課題です。
支援という形
それは様々で、人によって、団体によって多種多様であります。
私たちは、ママパパ子どもたちにできること!で走ってきました。
ただ、本当にやりたい支援活動においての「移動 Sakuraki / サクラキノイエ」の定義は、 震災前にお店でやってきたことのように 子どもたちを遊ばせながら、ママが子育ての息抜きができること。
震災後から今まで、大変な思いを抱えて頑張り続けるママやパパに息抜きの時間を提供できればと考えています。
が、どうしても、人員的に、規模的に できるだけのことしかできないのが現状。
キッズスペースは用意できるものの ママやパパがゆっくり過ごせる環境も同時には展開できていないのが現状の活動です。
そんな中迎えた、震災から7ヶ月目の今日。
徐々に穏やかさを取り戻しつつある、活動の中心としている益城町をはじめとする熊本。 益城町は避難所も全て閉鎖されました。。。
だからと言って平穏な日々が全ての人に戻ったわけでないし 失われた命、物、時間は戻ってこない。 益城町はまだまだ倒壊した建物が目立ちます。
でも、どんな状態でも進まなきゃいけない時もある。
今のやり方にさえ納得できない部分はあるけど 私たちも進まなければならい。
現在、新しい形で支援していけるように動いています。
ただ、先日の久々のキッズスペース。 ママやおばあちゃんたちに喜んでもらえた 子どもたちも楽しそうだった。。。
この形を変えるというのにも、少し抵抗があるけど・・・。
できることを、できるだけ 私たち熊本地震支援活動団体「SAKURAKI + people」は次の段階に来ているようです。。。
そして、この活動を始めるきっかけとなった わたしSakuraki代表、 葛西 江美の全壊した祖母宅は、ついに解体となりました。
息子が大好きだった、30年ものの三輪車は、 落ちた屋根の下から出て来ました。
わたしが30年前に着た七五三の着物 わたしの雛人形 息子がばあちゃんちに置いていたおもちゃ お母さんの花嫁道具のミシン。
あんなにひどい倒壊だったのに 無傷で残っててくれました。。。
たまにある傷が痛々しいけど・・・
無事だったものたちを見ると、なんだか涙が出てきちゃいます・・・
よく頑張って、雨の下、真っ暗中、あんな重いお家の下敷きになって残っててくれたって。。。
更地になった思い出の土地。 初めてお隣の壁を見ました。
7ヶ月経っても、ばあちゃんち行くと色々感慨深くなっちゃうもんですが ここから、また新しい何かが始まることを祈って
ばあちゃんたちが無事だったことに感謝します。